| おいの池の話(佐名伝) いつのころかははっきりせんが、ずっとずっとむかしのことや。 村の百姓嘉兵衛に、おいのという気立のやさしい、きれいな娘がおったそうじゃ。はやく母親 を失ってから、一家の女仕事は一手にひきうけ、からだの弱い嘉兵衛をたすけて、田畑の仕 事の手助けもするちゅしっかり者でのう、近在近郷から、嫁にほしいというてくるものも、いっぱ いあったそうじゃが、おいのは、まだ早い早いというて、ことわりつづけてきたそうな。 ところが、ある年のくれのゆうがたのことじゃ。おいのは、父の用事で近くの町までいってきて、 とっぷりくれてかえってきたのやと。そして、村の入口にまつってある地蔵さんの前まで帰ってくる と、そこにうずくまって痛がっているひとりの若い男をみつけた。 近づいてみると、すみぞめの 衣を着た僧で、にわかな腹痛で、苦しんどった。そこからおいのの家は、そんなに遠くなかったの で、おいのはその若い僧をせおうてうちへ帰っていった。それから父の嘉兵衛と一しょに、薬をの ませてやったり、腹をおさえてやったり、いろいろと手をつくしてやったそうじゃが、その甲斐あっ て、その夜おそく若い僧の病気は、うそみたいにようなってんと。 「かたじけのうございます」 と、若い僧は、眼に涙さえ浮かべながらいうた。 「わたしは、南都興福寺で学問をつづけている 俊海という者、いささか所要あって吉野山に立ちより、ここから高野にでようとしての道すがらの 急病、おかげさまで、一命をすくっていただきました。この御恩は、生涯決して忘れません。が今 は、修行の身、いつの日にか必ずおむくいいたします。」 おいのはうすぐらいあんどんの灯のも とで、初めて若い僧のひきしまった顔をみて、生まれてはじめてのはげしい恋心をもち、その晩一 晩まんじりとも眠れなかったのじゃと。 あくる朝早く俊海は、いくたびも礼をのべ別れをおしんで修行の旅に出立してしもうたが、いった んおいのの心についた火は、どうにも消すことができず、いよいよ燃え立つばかりだったそうな。 その日からおいのの様子が、みんながびっくりするほどかわってしまった。あかるかった顔がく らく思いにふけり、いつも川のほとりにあるひょうたん池のかたわらに立って、ぼんやりとしていた り、さめざめと泣いていたりしたのじゃそうな。嘉兵衛はそれがなによりも心配だったが、どないし ようもない。 その年もくれて、新しい年の正月も終わりに近い雪のふりしきる日、南都興福寺の猿沢池畔の 坂道を、ふかいまんじゅう笠をかむったみすぼらしい若い娘が、のぼっていった。二月ばかりのう ちに、狂うような恋心にすっかりやせたおいのである。娘心のひとすじに俊海を興福寺にたずね てきたわけよ。山坊を訪ねて面会を求めると、俊海はおった。命の恩人なのでよろこんで迎えてく れたが、おいのは、ここでは話もでけんからというて、五重の塔の下の人気のない雪の木かげへ きてもらい、そこで燃ゆるような恋心を必死になってうちあけたのじゃと。びっくりしたのは俊海じ ゃ。 「なにをおっしゃいます、おいのさん、わたしはごらんの通りの修行僧、御恩は忘れません が、あなたのお心にはそうわけにはいきません。おゆるしください。」 といって、すがりつくおい のの手をふりほどいて寺門深くかけこんでしもうたそうな。 死をかけてのおいのの願いが、そんなふうにつめたくはね返されたので、あいかわらずふる雪 の中を、よろめくように、おいのは村までかえってきたが、それから二日あとの朝、一通の遺書を のこして、ひょうたん池の青黒い水の底に沈んでいるおいのの姿がみつけだされたんじゃと。遺 書には、俊海に対するひとすじの恋に命を絶つということと、先立つ不孝を心からわびてあったそ うじゃ。 ところが、そんなことがあってから数日後、南都の興福寺にいた俊海が、なんの気なしに猿沢 池のとこへおりてきて、ふとみると、池の面にこのあいだみたおいののまんじゅう笠が浮かんでい るので、はっとおどろいたという。そらびっくりするわ。笠をひきよせてみると、笠の裏に「おいの」 と書いてあるからまちがいない。一体どうしてここにこんな笠が浮いていたのだろうかと俊海が不 審に思っているとき、後からその肩をたたく者がおった。一人娘の切なる恋を、娘にかわってせ めて一言だけ俊海に伝えてやりたいという親心から、はるばるやってきた嘉兵衛だった。 俊海 は、その顔をみると、 「あっ、嘉兵衛さん、おいのさんは」と、聞いた。 「はい、あなたを慕って、 このあいだ村の池に身を投げて死にました。」 「えっ、それでは、この笠は?」 その笠をみるな り、嘉兵衛もびっくりして「あ、これは、たしかにおいのの笠、どうしてここへ」 と不思議そうにきい た。 むかしから村のひょうたん池と奈良の猿沢池とは底の方でつづいている。そのためにひょうたん 池の堤に立って、強く足をふむと、下が穴洞になっているのが、つづみをうちならすような音がした ので、村の人たちはそれを「つづみが芝」と呼んでいた。いいつたえの通り、これは地下をうねうね と空洞が通って二つの池をつないでいるものにちがいがない。身投げの折、ひょうたん池に投げこ まれた笠が、恋しい俊海への情をこめて、地下を延々とくぐって猿沢池までたどりついたものにちが いないと、俊海も、嘉兵衛も思ったそうな。ひとすじの娘の恋心のいじらしさに、そのまんじゅう笠の 話をきいた村の人たちは、いずれも涙を流して同情し、それからのちその池を「おいの池」と呼ぶよ うになったというこっちゃ。 その池は、高い岸の上にあって、下の吉野川の水面とかなり落差があるにもかかわらず四季い つでも、水がひあがったためしもなく、ふえもせず、へりもせずに水位を保っているが、その池が、 猿沢池とつづいているちゅことは、その水位がおんなしやからだということがでけるわけじゃわな。 ふしぎな池じゃ。 なお、俊海はその後どうなったのかというと、その日から、興福寺から煙のように消え去ってしもう てんと。どこへいったのか、生きているのか、死んでしまったのか、だれも知らないというこっちゃ。 今だにわからん。 それで村の人たちは、決して口には出さなかったけれど俊海もまた、おいのを みたときから、おいのの姿が心に刻みこまれていて、そのために姿を消して、きっとどこかで、おい のの後を追って死んでしまっているにちがいないといいあっておったが、もちろんほんとうのことは、 なんにもわからん。 |